「人文・思想 > 哲学・思想」の商品をご紹介します。
【メール便不可商品】視覚と間文化性[本/雑誌] / 加國尚志/編 亀井大輔/編 マーティン・ジェイ/〔ほか執筆〕
ご注文前に必ずご確認ください<商品説明>哲学において視覚はいかに論じられてきたか?歴史的・文化的制約をこえてわたしたちの“みる”という経験を語ることは可能か?古代哲学から現象学、精神分析、批判理論、脱構築、フェミニズムまで。マーティン・ジェイの視覚論『うつむく眼』に対する日本からの応答を編んだ“視覚思想史”論集。ジェイの日本講演『融合する地平?』を収録!<収録内容>融合する地平?-日本における『うつむく眼』ソクラテスの鏡-見る哲学者、聴く哲学者視覚中心主義とニーチェ-“不動の視点”から“視点の自在な切り替え”へ見ること、見えなくなること、見えるようにすること-リルケの経験フッサール現象学における「見る」ことと動機づけハイデガーと「視覚中心主義」を巡って-マーティン・ジェイへの応答照明の弁証法メルロ=ポンティの知覚論-マーティン・ジェイ『うつむく眼』の周囲で視覚の狂気とイカロスの眼差し-メルロ=ポンティ、ビュシ=グリュックスマン、マーティン・ジェイにおける視覚体制と間文化性見ないことの倫理-レヴィナスの他者論における視覚の位置づけ空気に触れる眼-イリガライと触覚的視覚Frag-mentとしての世界-ジェラール・グラネスの視覚論と絵画論視覚の脱構築/権威剥奪-ジェイ『うつむく眼』からデリダ『触覚』へ視覚と新自由主義-見えることと「見えないこと」<商品詳細>商品番号:NEOBK-2847040Ka Koku Hisashi Kamei Daisuke / Shikaku to Hazama Bunka Seiメディア:本/雑誌重量:470g発売日:2023/03JAN:9784588151330視覚と間文化性[本/雑誌] / 加國尚志/編 亀井大輔/編 マーティン・ジェイ/〔ほか執筆〕2023/03発売
4950 円 (税込 / 送料別)
【送料無料】時間と自我 新装版/大森荘蔵
著者大森荘蔵(著)出版社青土社発売日2023年06月ISBN9784791775552ページ数277Pキーワードじかんとじが ジカントジガ おおもり しようぞう オオモリ シヨウゾウ9784791775552内容紹介思考の根源へ日常性に依拠し、哲学の諸前提を覆してきた著者が、時間と自我という根源問題に挑む。「アキレスと亀の逆説」「他我問題」を解消し、過去世界の実在をも疑わしめる臨界へと至る、澄明な思考の軌跡。※本データはこの商品が発売された時点の情報です。目次時間の変造/過去の制作/観測者は邪魔者?/刹那仮説とアキレス及び観測問題/言語的制作としての過去と夢/過去概念の改訂/自我と時間の双生/ホーリズムと他我問題/理論概念としての自我と他我/「他我」の意味制作/鏡の中の左右/風情と感情
2860 円 (税込 / 送料込)
時間と自我 新装版/大森荘蔵【3000円以上送料無料】
著者大森荘蔵(著)出版社青土社発売日2023年06月ISBN9784791775552ページ数277Pキーワードじかんとじが ジカントジガ おおもり しようぞう オオモリ シヨウゾウ9784791775552内容紹介思考の根源へ日常性に依拠し、哲学の諸前提を覆してきた著者が、時間と自我という根源問題に挑む。「アキレスと亀の逆説」「他我問題」を解消し、過去世界の実在をも疑わしめる臨界へと至る、澄明な思考の軌跡。※本データはこの商品が発売された時点の情報です。目次時間の変造/過去の制作/観測者は邪魔者?/刹那仮説とアキレス及び観測問題/言語的制作としての過去と夢/過去概念の改訂/自我と時間の双生/ホーリズムと他我問題/理論概念としての自我と他我/「他我」の意味制作/鏡の中の左右/風情と感情
2860 円 (税込 / 送料別)
時間と自我 新装版[本/雑誌] / 大森荘蔵/著
ご注文前に必ずご確認ください<商品説明>思考の根源へ。日常性に依拠し、哲学の諸前提を覆してきた著者が、時間と自我という根源問題に挑む。「アキレスと亀の逆説」「他我問題」を解消し、過去世界の実在をも疑わしめる臨界へと至る、澄明な思考の軌跡。<収録内容>時間の変造過去の制作観測者は邪魔者?刹那仮説とアキレス及び観測問題言語的制作としての過去と夢過去概念の改訂自我と時間の双生ホーリズムと他我問題理論概念としての自我と他我「他我」の意味制作鏡の中の左右風情と感情<商品詳細>商品番号:NEOBK-2860394Daimorisho Zo / Cho / Jikan to Jiga New Editionメディア:本/雑誌重量:470g発売日:2023/05JAN:9784791775552時間と自我 新装版[本/雑誌] / 大森荘蔵/著2023/05発売
2860 円 (税込 / 送料別)
【コンビニ・銀行振込不可】三木清研究資料集成 第5巻 思想家・評論家としての三木清 時代との格闘 津田雅夫/編 室井美千博/編・解説 宮島光志/編・解説
■ISBN:9784877339661★日時指定・銀行振込をお受けできない商品になりますタイトル【新品】三木清研究資料集成 第5巻 思想家・評論家としての三木清 時代との格闘 津田雅夫/編 室井美千博/編・解説 宮島光志/編・解説ふりがなみききよしけんきゆうしりようしゆうせい55しそうかひようろんかとしてのみききよし発売日201810出版社クレス出版ISBN9784877339661大きさ605P 22cm著者名津田雅夫/編 室井美千博/編・解説 宮島光志/編・解説内容情報目次等■目次三木清氏の『唯物史観と現代の意識』を評す唯物弁証法と唯物史観〈抄〉三木清氏の近業二つ三木清著『社会科学の予備概念』三木清著『社会科学の予備概念』三木清著『史的観念論の諸問題』観念論の粉飾形態人間学的唯物論と其批判アシルと亀の子三木清氏の宗教学マルクス主義者は宗教に如何なる態度をとるか三木清とその哲学文芸時評唯物弁証法的世界観と自然相対主義と浮浪的弁証法哲学に対する我々の態度 三木哲学に対する覚書唯物弁証法乃至自然弁証法批判〈抄・後略〉土田杏村氏の三木哲学批判についてイデオロギー論の階級的意義思想・文芸-一九三二年の回顧三木清『歴史哲学』哲学の新転向-三木氏の所説について-三木哲学のフハッショ的形態三木清のヂアナリスチツク的ヂアナリスト礼讃「ヂヤーナリズムの批評」論三木清著『歴史哲学』を読む三木清氏の「パトロギイ」批判 三木清氏に於ける「事実」と「存在」マルクス主義唯物論の心理学的分析三木清君に東洋学を求める東洋学の示唆 人間学と神学との対立・綜合. 上シエストフ的不安日常性と歴史性〈後略〉知識階級論批判〈後略〉三木清と行動的人間能動論議の二態現代日本の思想界と思想家芸術・思想・民族文芸時評 三木清《肉体の問題》三木清氏のマルクス主義妄執三木清『時代と道徳』に就いて現代日本の思想形態マルクス主義的傾向三木清君へ文芸評論家群三木イズムの批判. 1~4〈家鴨のあくび〉三木の借り物・巨大な愚挙〈家鴨の欠伸〉被害妄想的な理念・いはゆる知性派の反動性〈家鴨の欠伸〉逆立ちしてゐる船山の謔言 変装せる敵国主義論三木イズムを問題にする理由国亡びて真理なし「三木イズム批判」に寄す学生の声政治は呼ぶ三木哲学の方法論的批判事変収拾の見透日本に寄す附、昭和研究会と三木清氏新人評-三木清古典哲学の終末と三木清新進哲学者評伝三木清と戸坂潤経済往来 三木清論街の人物評論-三木清三木清の魅力三木清論評論壇の人々哲学界の人々日本の哲学者たち三木清と三枝博音思想家・評論家としての三木清 : 時代との格闘
19800 円 (税込 / 送料別)
【送料無料】神話・象徴・イメージ Hommage a Kosaku Maeda/蔵持不三也
著者蔵持不三也(編)出版社原書房発売日2003年03月ISBN9784562036233ページ数416Pキーワードしんわしようちよういめーじおまーじゆあこうさくまえ シンワシヨウチヨウイメージオマージユアコウサクマエ くらもち ふみや ながさわ た クラモチ フミヤ ナガサワ タ9784562036233内容紹介本書は、さまざまな分野の研究者が多様な側面から「神話・象徴・イメージ」について考察した論文を集成したものである。※本データはこの商品が発売された時点の情報です。目次表象論1-コルシカ島の「ムーア人の顔」をめぐって/ザルモクシスから卑弥呼へ/ガンダーラの仏塔四柱の象徴的意味/ビザンティン美術における異教古代モティーフの変容をめぐる試論-“踊る乙女”の図像モティーフを手がかりとして/『神話学小事典』の構想/イブン・アル・ハイサム著“光に関する論攷”抄訳/泉とアレゴリー-ローマの亀の泉をめぐって/ガンダーラの「大構図」について-モティーフによる解釈/ミトラ・ヴァルナの末裔-中国大足北山石窟摩利支天像の図像分析をめぐって/兄殺しの絨毯歌(コーント)を広げる試み-ブラーフイ族の叙事詩とその文様をとく/揺銭樹を支える羊-「スキタイの子羊」への射程/ガヴァシュとは誰か?南フランスの「奴ら」の系譜-「ガヴァシュ」呼称の検討を中心として/ヤヌスの葛藤-南ケルテン地方スロヴェニア系少数派集団の、言語をめぐる〈声〉
5280 円 (税込 / 送料込)
神話・象徴・イメージ Hommage a Kosaku Maeda/蔵持不三也【3000円以上送料無料】
著者蔵持不三也(編)出版社原書房発売日2003年03月ISBN9784562036233ページ数416Pキーワードしんわしようちよういめーじおまーじゆあこうさくまえ シンワシヨウチヨウイメージオマージユアコウサクマエ くらもち ふみや ながさわ た クラモチ フミヤ ナガサワ タ9784562036233内容紹介本書は、さまざまな分野の研究者が多様な側面から「神話・象徴・イメージ」について考察した論文を集成したものである。※本データはこの商品が発売された時点の情報です。目次表象論1-コルシカ島の「ムーア人の顔」をめぐって/ザルモクシスから卑弥呼へ/ガンダーラの仏塔四柱の象徴的意味/ビザンティン美術における異教古代モティーフの変容をめぐる試論-“踊る乙女”の図像モティーフを手がかりとして/『神話学小事典』の構想/イブン・アル・ハイサム著“光に関する論攷”抄訳/泉とアレゴリー-ローマの亀の泉をめぐって/ガンダーラの「大構図」について-モティーフによる解釈/ミトラ・ヴァルナの末裔-中国大足北山石窟摩利支天像の図像分析をめぐって/兄殺しの絨毯歌(コーント)を広げる試み-ブラーフイ族の叙事詩とその文様をとく/揺銭樹を支える羊-「スキタイの子羊」への射程/ガヴァシュとは誰か?南フランスの「奴ら」の系譜-「ガヴァシュ」呼称の検討を中心として/ヤヌスの葛藤-南ケルテン地方スロヴェニア系少数派集団の、言語をめぐる〈声〉
5280 円 (税込 / 送料込)
【電子書籍なら、スマホ・パソコンの無料アプリで今すぐ読める!】日清戦袍誌(国会図書館コレクション)【電子書籍】[ 亀岡泰辰 ]
<p>亀岡泰辰より昭和8年に出版された書籍です。</p> <p>本電子書籍は国立国会図書館が所蔵しインターネット上に公開している資料で著作権保護期間が満了したタイトルの画像データを電子書籍として制作したものです。</p> <p>電子書籍本を制作するにあたり原本からの修正を最小限にとどめております。</p> <p>そのため、古書特有のページの損傷、汚れ等がございます。</p> <p>あらかじめご了承下さいますようお願い致します。</p>画面が切り替わりますので、しばらくお待ち下さい。 ※ご購入は、楽天kobo商品ページからお願いします。※切り替わらない場合は、こちら をクリックして下さい。 ※このページからは注文できません。
450 円 (税込 / 送料込)
【送料無料】デリダ 歴史の思考/亀井大輔
著者亀井大輔(著)出版社法政大学出版局発売日2019年01月ISBN9784588151019ページ数252,8Pキーワードでりだれきしのしこう デリダレキシノシコウ かめい だいすけ カメイ ダイスケ9784588151019内容紹介「歴史とは何か」と問うとき、われわれは起源から目的へと直進する哲学的伝統と言語のシステムに囚われてしまう。一九六〇年代のデリダはそのような歴史、あるいは歴史を思考することの困難をモティーフとして脱構築の思想を形成し、自らの理論の射程を爆発的に拡大していった。初期デリダの諸論考をクロノロジックに読み解くことで、その独創的な仕事に通底する「歴史の思考」を示す。※本データはこの商品が発売された時点の情報です。目次序論-歴史の思考/第1章 歴史の思考と時代の問題/第2章 言語の問いから脱構築の戦略へ/第3章 現前と痕跡-現前の形而上学論の成立/第4章 『声と現象』とハイデガー/第5章 脱構築の展開と歴史の思考/補論 生き延びとしての翻訳-来たるべき言語に向けて
3960 円 (税込 / 送料込)
デリダ 歴史の思考/亀井大輔【3000円以上送料無料】
著者亀井大輔(著)出版社法政大学出版局発売日2019年01月ISBN9784588151019ページ数252,8Pキーワードでりだれきしのしこう デリダレキシノシコウ かめい だいすけ カメイ ダイスケ9784588151019内容紹介「歴史とは何か」と問うとき、われわれは起源から目的へと直進する哲学的伝統と言語のシステムに囚われてしまう。一九六〇年代のデリダはそのような歴史、あるいは歴史を思考することの困難をモティーフとして脱構築の思想を形成し、自らの理論の射程を爆発的に拡大していった。初期デリダの諸論考をクロノロジックに読み解くことで、その独創的な仕事に通底する「歴史の思考」を示す。※本データはこの商品が発売された時点の情報です。目次序論-歴史の思考/第1章 歴史の思考と時代の問題/第2章 言語の問いから脱構築の戦略へ/第3章 現前と痕跡-現前の形而上学論の成立/第4章 『声と現象』とハイデガー/第5章 脱構築の展開と歴史の思考/補論 生き延びとしての翻訳-来たるべき言語に向けて
3960 円 (税込 / 送料込)
【中古】ソクラテツとの対話 / 徳留新一郎 (単行本)
ソクラテツとの対話 単行本 の詳細 誰であろうと自分の人生を失敗してよいはずがなく、なんとしても成功させなければならない-。「アキレスと亀」の難問を遂に解いた男・曽倉哲郎(通称・ソクラテツ)との対話を通して、神を忘れた退廃の世に痛烈な警句を放つ。 カテゴリ: 中古本 ジャンル: 産業・学術・歴史 哲学・思想 出版社: 東洋出版 レーベル: 作者: 徳留新一郎 カナ: ソクラテツトノタイワ / トクトメシンイチロウ サイズ: 単行本 ISBN: 4809676406 発売日: 2011/05/01 関連商品リンク : 徳留新一郎 東洋出版
165 円 (税込 / 送料別)
なぜ殺してはいけないのか? 人間の、人間による、人間のための道徳[本/雑誌] / 三森定史/著
ご注文前に必ずご確認ください<商品説明><収録内容>1章 道徳の哲学(動物の調教と子供の躾善悪の観念は必然的(ア・プリオリ)か?哲学として善悪を論じる ほか)2章 道徳の科学(国家をなくせば戦争もなくなる?必要悪としての国家民族国家-民族の共時的輪郭 ほか)3章 道徳の限界(自殺してはいけないのか?自殺者が自殺すると同時に死ぬなら、自殺者は自殺できない?アキレスと亀 ほか)<商品詳細>商品番号:NEOBK-2769017Mimori Sada Shi / Cho / Naze Koroshite Haikenai No Ka? Ningen No Ningen Niyoru Ningen No Tame No Dotokuメディア:本/雑誌重量:450g発売日:2022/08JAN:9784862514691なぜ殺してはいけないのか? 人間の、人間による、人間のための道徳[本/雑誌] / 三森定史/著2022/08発売
3300 円 (税込 / 送料別)
ジャック・デリダ講義録【送料無料】生死/ジャック・デリダ/吉松覚/亀井大輔
著者ジャック・デリダ(著) 吉松覚(訳) 亀井大輔(訳)出版社白水社発売日2022年08月ISBN9784560098059ページ数354,48Pキーワードせいしじやつくでりだこうぎろく セイシジヤツクデリダコウギロク でりだ じやつく DERRID デリダ ジヤツク DERRID9784560098059内容紹介生命科学について考える、差延の論理。 1970年代、デリダは高等師範学校において哲学教授資格試験準備講座を担当していた。すなわち、高等学校以上の教育資格であるアグレガシオンや、中学校での教育資格である試験のテーマについて、受験希望者に対策をほどこす講座である。1976年度アグレガシオンの哲学の試験のテーマのひとつが「生と死〔la vie et la mort〕」であった。だが、デリダは生と死が対立するという伝統的な論理に疑義を呈し、生と死が不可分であること、ひいては死こそが生を可能にすると説く。そしてそのために、試験のテーマから接続詞の「と〔et〕」を削除した「生死〔la vie la mort〕」を自らの講義のテーマとした。 生と死は、はたして対立すべきものであるのか? DNA、遺伝子、細胞……生き物にプログラムされた「非音声的エクリチュール」を踏まえながら問いかけ、ジャコブ、ニーチェ、フロイトを脱構築的に読解することで、再生産や新陳代謝のメカニズムを哲学する─「生死」をともにする全14回の講義。 生命科学を探究する、差延の論理!性的差異、自伝、二重拘束、補綴、隠喩……デリダ的な圧巻のテーマが語られてゆく、驚くべき講義録。※本データはこの商品が発売された時点の情報です。目次第1回 諸々のプログラム/第2回 女性の生者の論理/第3回 移行(オイディプスの踏み外し)/第4回 代補の論理-他者の、死の、意味の、生の代補/第5回 頑丈な=死ぬことのないもの/第6回 「跛行する」モデル-巨像の歴史/第7回/第8回 もの(「ニーチェ」)/第9回 解釈について/第10回 分業についての思考-そして、固有名の伝染〔ほか〕
8250 円 (税込 / 送料込)
【コンビニ・銀行振込不可】生死 ジャック・デリダ/著 吉松覚/訳 亀井大輔/訳 小川歩人/訳 松田智裕/訳 佐藤朋子/訳
■ISBN:9784560098059★日時指定・銀行振込をお受けできない商品になりますタイトル【新品】生死 ジャック・デリダ/著 吉松覚/訳 亀井大輔/訳 小川歩人/訳 松田智裕/訳 佐藤朋子/訳ふりがなせいしじやつくでりだこうぎろく発売日202208出版社白水社ISBN9784560098059大きさ354,48P 22cm著者名ジャック・デリダ/著 吉松覚/訳 亀井大輔/訳 小川歩人/訳 松田智裕/訳 佐藤朋子/訳
8250 円 (税込 / 送料別)
【メール便不可商品】生死 / 原タイトル:LA VIE A MORT[本/雑誌] (ジャック・デリダ講義録) / ジャック・デリダ/著 吉松覚/訳 亀井大輔/訳 小川歩人/訳 松田智裕/訳 佐藤朋子/訳
ご注文前に必ずご確認ください<商品説明>生と死は、はたして対立すべきものであるのか?DNA、遺伝子、細胞...生き物にプログラムされた「非音声的エクリチュール」を踏まえながら問いかけ、ジャコブ、ニーチェ、フロイトを脱構築的に読解することで、再生産や新陳代謝のメカニズムを哲学する-「生死」をともにする全14回の講義。<収録内容>第1回 諸々のプログラム第2回 女性の生者の論理第3回 移行(オイディプスの踏み外し)第4回 代補の論理-他者の、死の、意味の、生の代補第5回 頑丈な=死ぬことのないもの第6回 「跛行する」モデル-巨像の歴史第7回第8回 もの(「ニーチェ」)第9回 解釈について第10回 分業についての思考-そして、固有名の伝染〔ほか〕<アーティスト/キャスト>佐藤朋子(演奏者)<商品詳細>商品番号:NEOBK-2773885Jack De Ri Da / Cho Kichimatsu Satoshi / Yaku Kamei Daisuke / Yaku Ogawa Hojin / Yaku Matsuda Tomohiro / Yaku Sato Tomoko / Yaku / Seishi / Original Title: LA VIE a MORT (Jack De Ri Da Kogi Roku)メディア:本/雑誌重量:470g発売日:2022/08JAN:9784560098059生死 / 原タイトル:LA VIE A MORT[本/雑誌] (ジャック・デリダ講義録) / ジャック・デリダ/著 吉松覚/訳 亀井大輔/訳 小川歩人/訳 松田智裕/訳 佐藤朋子/訳2022/08発売
8250 円 (税込 / 送料別)
【電子書籍なら、スマホ・パソコンの無料アプリで今すぐ読める!】本朝食鑑 5【電子書籍】[ 人見必大 ]
<p>昔の人は,どんなものをどのように食べていたのか? 江戸初期の本草学者が,各地に取材した見聞にもとづき,そのふかい学識を集大成した古典。最終第5巻は,亀,蟹,貝類をあつかう鱗介部之四,牛,馬,鼠などの獣畜部,蛇,蛙,蜜蜂などの蛇虫部。巻末に品名索引を付す。</p>画面が切り替わりますので、しばらくお待ち下さい。 ※ご購入は、楽天kobo商品ページからお願いします。※切り替わらない場合は、こちら をクリックして下さい。 ※このページからは注文できません。
4400 円 (税込 / 送料込)
![【中古】 ひとつ拾えば、ひとつだけきれいになる / 鍵山 秀三郎, 亀井 民治 / PHP研究所 [単行本(ソフトカバー)]【メール便送料無料】【最短翌日配達対応】](/common/rasp2/image/dummy/item.gif)
【メール便送料無料、通常24時間以内出荷】【中古】 ひとつ拾えば、ひとつだけきれいになる / 鍵山 秀三郎, 亀井 民治 / PHP研究所 [単行本(ソフトカバー)]【メール便送料無料】【最短翌日配達対応】
著者:鍵山 秀三郎, 亀井 民治出版社:PHP研究所サイズ:単行本(ソフトカバー)ISBN-10:4569652352ISBN-13:9784569652351■通常24時間以内に出荷可能です。※繁忙期やセール等、ご注文数が多い日につきましては 出荷まで48時間かかる場合があります。あらかじめご了承ください。 ■メール便は、1冊から送料無料です。※宅配便の場合、2,500円以上送料無料です。※最短翌日配達ご希望の方は、宅配便をご選択下さい。※「代引き」ご希望の方は宅配便をご選択下さい。■中古品ではございますが、良好なコンディションです。決済は、クレジットカード、代引き等、各種決済方法がご利用可能です。■万が一品質に不備が有った場合は、返金対応。■クリーニング済み。■商品状態の表記につきまして・非常に良い: 使用されてはいますが、 非常にきれいな状態です。 書き込みや線引きはありません。・良い: 比較的綺麗な状態の商品です。 ページやカバーに欠品はありません。 文章を読むのに支障はありません。・可: 文章が問題なく読める状態の商品です。 マーカーやペンで書込があることがあります。 商品の痛みがある場合があります。
475 円 (税込 / 送料別)
![【中古】 人ったらし / 亀和田 武 / 文藝春秋 [新書]【メール便送料無料】【最短翌日配達対応】](/common/rasp2/image/dummy/item.gif)
【メール便送料無料、通常24時間以内出荷】【中古】 人ったらし / 亀和田 武 / 文藝春秋 [新書]【メール便送料無料】【最短翌日配達対応】
著者:亀和田 武出版社:文藝春秋サイズ:新書ISBN-10:4166605976ISBN-13:9784166605972■通常24時間以内に出荷可能です。※繁忙期やセール等、ご注文数が多い日につきましては 出荷まで48時間かかる場合があります。あらかじめご了承ください。 ■メール便は、1冊から送料無料です。※宅配便の場合、2,500円以上送料無料です。※最短翌日配達ご希望の方は、宅配便をご選択下さい。※「代引き」ご希望の方は宅配便をご選択下さい。■中古品ではございますが、良好なコンディションです。決済は、クレジットカード、代引き等、各種決済方法がご利用可能です。■万が一品質に不備が有った場合は、返金対応。■クリーニング済み。■商品状態の表記につきまして・非常に良い: 使用されてはいますが、 非常にきれいな状態です。 書き込みや線引きはありません。・良い: 比較的綺麗な状態の商品です。 ページやカバーに欠品はありません。 文章を読むのに支障はありません。・可: 文章が問題なく読める状態の商品です。 マーカーやペンで書込があることがあります。 商品の痛みがある場合があります。
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【中古】言語学大辞典 第3巻/三省堂/亀井孝(大型本)
◆◆◆おおむね良好な状態です。中古商品のため使用感等ある場合がございますが、品質には十分注意して発送いたします。 【毎日発送】 商品状態 著者名 亀井孝 出版社名 三省堂 発売日 1992年01月01日 ISBN 9784385152172
5001 円 (税込 / 送料込)
【電子書籍なら、スマホ・パソコンの無料アプリで今すぐ読める!】高天神城の戦い【電子書籍】[ 川村 一彦 ]
<p>今川氏滅びる</p> <p>駿河と遠江二カ国の守護、今川氏真(うじざね)が、駿府今川館を、武田信玄によって逐われたのは永禄11年(1568)12月13日、信玄と家康が相談し、今川領に同時進攻をはかった。氏真は掛川城に逃げこんだが家康に包囲されてしまった。永禄12年(1569)1月12日から5月17日まで、はげしい攻防戦がくりひろげられた。その攻める徳川軍の中に、寝返った(今川から徳川へ)ばかりの高天神城主の小笠原氏興・長忠の父子がいた。そして5月17日、氏真が降服し今川氏は滅び、家康はほぼ遠江を平定した。第一次・元亀2年の戦い信玄は永禄12年(1569)10月、家康が越後の上杉謙信と盟約を結んだことを知り、これに刺激されて翌年の元亀元年(1570)、いよいよ本格的に遠江への侵攻を開始することとなった。元亀2年(1571)2月、信玄自ら2万の大軍を率いて甲斐を出発し、3月に高天神城の南東にあたる塩買坂(現在の菊川市川上)に陣を張り高天神城の攻めにとり組んだ。しかし信玄は、「城外に出ている高天神城の兵たちを城内に押しもどすだけでよい。」とばかり獅子ヶ鼻(現在の菊川市大石)と国安川のニカ所で小競りあいを行なっただけで、三河に進み、伊那を通って甲斐にもどった。真相は、高天神城が天嶮の要害に築かれた堅城であるのを見て、力攻めをあきらめたようだ。こうして第一次高天神城の戦いは終った。このとき城に籠った兵は、城主小笠原長忠以下2,000名といわれる。</p> <p>第二次・天正2年の戦い</p> <p>元亀2年の戦いは、信玄による示威行動で、本格的な攻防戦にはならなかった。しかし信玄は、重圧に命じて高天神城を囲ませていて、このときから高天神城は臨戦体勢をとることとなった。)三方ヶ原の戦いの項を参照) 元亀3年におきた浜松城を守る家康と信玄の三方ヶ原の戦いのあと信玄は死去。その後をついだ勝頼は、天正2年(1574)5月、高天神城を狙って、25,000の兵を率いて出陣し、12月には城を包囲。城主、小笠原長忠は早速使いを浜松城に出し、後詰(敵の背後から襲うこと)として援軍を要請。勝頼が全力をあげて高天神城を包囲したことを知った家康は、さらに信長の援軍を要請した。なかなか後詰のこない高天神城では、武田軍の猛攻がくりかえされており、6月11日</p>画面が切り替わりますので、しばらくお待ち下さい。 ※ご購入は、楽天kobo商品ページからお願いします。※切り替わらない場合は、こちら をクリックして下さい。 ※このページからは注文できません。
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【電子書籍なら、スマホ・パソコンの無料アプリで今すぐ読める!】蒲生氏郷の群像【電子書籍】[ 川村 一彦 ]
<p>蒲生氏郷(1556年~1595年)安土桃山時代の武将。蒲生氏。近江日野城主、伊勢亀山・松ヶ島城主、会津若松城主。近江六角氏家臣日野城主蒲生賢秀の第一子よして生まれる。幼名鶴千代、幼名教秀、賦秀、通称忠三郎。1568年(永禄11)織田信長に降伏した賢秀の人質として美濃国岐阜に差し出される。その後岐阜城にて元服。1569年信長の娘を娶り日野に帰還する。以後信長に従って多くの戦功をあげる一方、1582年(天正10)には城下町日野に対して12か条の掟をだして経済発展を図っている。信長の死後の翌年1583年には羽柴秀吉と結んで滝川一益を攻めて、その戦功をみとられ伊勢亀山城を与えられ、またこの年飛騨守に任じられた。1584年小牧・長久手の戦の功により南伊勢に12万石を与えられて松が城に移る。よく588年には紀州攻めや越中の佐々木成政攻撃に従軍した。1586年侍従、1587年の急襲攻めで軍勲をあげ羽柴姓賜る。1588年正四位下左近少将となり松坂城に移る。1590年小田原攻めの後会津黒川42万石の転封、1592年(文禄元)若松と改め城下町を整備を進めた。同年文禄の役には肥前名護屋城に出陣した。なお、早くから洗礼を受けて、天正年中ローマに施設を派遣したという説もある。</p>画面が切り替わりますので、しばらくお待ち下さい。 ※ご購入は、楽天kobo商品ページからお願いします。※切り替わらない場合は、こちら をクリックして下さい。 ※このページからは注文できません。
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【電子書籍なら、スマホ・パソコンの無料アプリで今すぐ読める!】高屋城の戦い【電子書籍】[ 川村 一彦 ]
<p>高屋城は元々河内畠山氏の城だったが、畠山氏が内紛により弱体化すると、細川氏や三好氏の介入を受けるようになった。当主畠山高政はこれに抵抗したが、永禄3年(1560年)に三好長慶に河内を乗っ取られ高屋城から追放された。永禄11年(1568年)、同じく河内を追われていた高政の家臣安見宗房は、15代将軍足利義昭と義昭を擁立する織田信長の上洛に畠山高政共々協力し、高屋城への復帰を果たした。ただし河内は三好義継(長慶の甥)と南北で折半だった。やがて義昭と信長が対立し、義昭は各勢力に信長討伐を呼びかけた(信長包囲網)。三好義継は三好三人衆や大和の松永久秀と再度結んで信長から離反して義昭側に味方し、畠山家中は信長派と義昭派とに分裂した。当主・畠山秋高は信長派だったが、元亀4年(1573年)6月、秋高は義昭派の守護代・遊佐信教に自害させられてしまった。安見宗房もこの頃には死去し、秋高の弔い合戦を行った兄の高政も信教に敗れて追われ、畠山家中の主導権は信教が握った。しかし包囲網側は劣勢に立たされた。7月に槇島城の戦いで足利義昭が京都から追放され、8月には一乗谷城の戦いで朝倉義景が自害、9月には小谷城の戦いで浅井長政が敗死。11月には三好義継も信長の攻勢を受け味方の裏切りにあって自害し(若江城の戦い)、11月には石山本願寺が信長に名物の「白天目」(はくてんもく)茶碗を進呈して講和。12月には堺に逃亡していた義昭がさらに紀伊の興国寺へ逃げ、12月26日には松永久秀も降伏して多聞山城や堀城を明け渡した。こうして信長包囲網はほぼ崩壊した。天正2年(1574年)2月20日、義昭は興国寺から武田勝頼・上杉謙信・北条氏政らに対し、徳川家康・顕如と共に帰京を図るように御内書を送付した。また側近の一色藤長が石山本願寺や高屋城へ出向き頻繁に連絡をしている。この足利義昭御内書は御内書で、義昭の直書形式と考えられている。内容は毛利輝元が浦上宗景、宇喜多直家と和睦したことを喜び、今こそ天下のために励むべき時であると述べ、輝元が備中へ差し向ける軍勢を讃岐に向かわせることに対して賛意を表している。こうした動きから、4月に摂津国の池田勝正、讃岐国の十河一行、雑賀衆の鈴木孫一ら雑賀衆や、三好義継に従っていた若江城の残兵や、池田勝正に従っていた池田城の城兵が加わり、信長方であった堀城の城主・細川昭元や堀城周辺の城を攻め落とした。</p>画面が切り替わりますので、しばらくお待ち下さい。 ※ご購入は、楽天kobo商品ページからお願いします。※切り替わらない場合は、こちら をクリックして下さい。 ※このページからは注文できません。
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【電子書籍なら、スマホ・パソコンの無料アプリで今すぐ読める!】野田城・福島城の戦い【電子書籍】[ 川村 一彦 ]
<p>三好三人衆との戦闘中に本願寺も加担。石山合戦はじまる</p> <p>三好長慶の時代、三好政権を支えてきた三好三人衆。彼らは長慶の死後も政権の中枢を担いますが、信長が上洛してきた時に反発して幾内から追い出されてしまった。本記事で扱う「野田城・福島城の戦い」は三好三人衆による幾内奪回戦の一つです。合戦の途中で本願寺勢力も三好方に加担したことから「第一次石山合戦」とも言われ、以後10年にもわたる石山合戦の端緒となりました。さて、戦の展開はどのようなものだったのでしょうか。<br /> 背景は信長の上洛にあり</p> <p>織田信長が上洛して将軍足利義昭を誕生させたのは永禄11年(1568) このときに信長上洛を阻止しようとした三好三人衆(三好政康、三好長逸、岩成友通)は、戦いに敗れて京都を追い出されます。これがきっかけで「織田 vs 三好」という敵対関係ができあがることになった。再び京の奪還を狙っていた三人衆は、翌年に入ってすぐに将軍義昭の仮御所・六条本圀寺を攻撃。しかし、このときも明智光秀らに阻まれて京都奪還は叶わなかった。(本圀寺の変)それでも三人衆は反織田を貫き、元亀元年(1570)6月、信長が姉川の戦いで近江に出陣していた頃、同 19日にこれを機とみた三好三人衆の1人・三好長逸が摂津の荒木村重を調略。村重は池田城から主君・池田勝正を追放して三好方に与する。7月21日に三人衆は摂津国中嶋に進出して野田城・福島城を築城。ここを拠点として反織田の兵を挙げるためにのもである。この三人衆の動きに呼応し、細川昭元軍や紀伊国の鈴木孫一等が率いる雑賀衆の援軍も続々と到着。『松井家譜』によれば、この時の総数は1万3千兵までに膨れ上がったと言われている。この雑賀衆は水兵・鉄砲兵からなる傭兵部隊で三人衆に属していた安宅信康に雇われた私兵ではなかったかといわれている。こうした動きに対し、織田方の松永久秀・久通父子がいち早く対応した。彼らは大和の信貴山城で戦闘準備を整えると、27日には信貴山城を出発して河内に入国し、三人衆軍の河内侵攻に備えた。こうした流れを経て、摂津で織田・足利義昭連合と三好三人衆ら反織田勢力との戦いがはじまった。合戦地は摂津国・野田城、および福島城一帯(現在の大阪府大阪市福島区)。色濃い部分は摂津の範囲は野田城・福島城の戦い、始まる。反織田勢力の総数は8千程とされている。顔ぶれに含まれている本願寺顕如は、はじめは中立を保っていたものの、途中で反織田の兵をあげることになっていく。なお、三人衆は浅井長政・朝倉義景・顕如らと開戦前から通じていたという説も。</p>画面が切り替わりますので、しばらくお待ち下さい。 ※ご購入は、楽天kobo商品ページからお願いします。※切り替わらない場合は、こちら をクリックして下さい。 ※このページからは注文できません。
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【電子書籍なら、スマホ・パソコンの無料アプリで今すぐ読める!】比叡山の焼き討ち【電子書籍】[ 川村 一彦 ]
<p>比叡山延暦寺は、806年(延暦25年)に天台宗の開祖「最澄」によって建立された天台宗の総本山で、朝廷や武家からの庇護を受けてきた大寺院。戦国時代には、広大な領地や財力を持ち、その力は戦国大名にも劣らない一大勢力となっていた。1569年(永禄12年)、織田信長は寺社の力を削ぐため、延暦寺の寺領を横領。これに対し延暦寺は朝廷に訴え、朝廷は土地を返すよう織田信長に命じた。しかし、織田信長がこれを聞き入れなかったことから、織田信長と延暦寺は対立を深めることとなっていった。その頃、室町幕府13代将軍「足利義輝」が暗殺され、もともと仏門に入っていた「足利義昭」が勢力を強めていた織田信長とともに上洛し、第15代将軍になった。これにより朝廷との関係を強化した織田信長は、足利義昭のもとで天下統一を実現させるため、畿内の諸大名に対して上洛を求めた。京都に近い畿内の大名達は織田信長の指示に従がったが、越前国の朝倉義景だけこれに従わなかったために、織田信長は朝倉氏を攻めることを決意した。1570年(永禄13年/元亀元年)、織田信長は30,000の軍を率いて朝倉氏のいる越前国一乗谷へ進軍した。織田信長の妹「お市の方」の嫁ぎ先で、味方だと思っていた浅井長政に背後から攻められ、織田信長は命からがら京都へ逃げ延びた。態勢を整えた織田信長は、再び朝倉義景と浅井長政を追い詰めるべく、1570年(永禄13年/元亀元年)、浅井長政の居城「小谷城」を攻撃。これにより小谷城は焼き討ちされ、浅井長政は朝倉義景の援軍を待たずして城外に逃れることなり、遅れて到着した朝倉軍は、浅井軍とともに織田軍と戦いますが、万全の準備を整えていた織田軍に敗北。織田信長の狙い通り、浅井氏と朝倉氏は追い詰められていった。</p>画面が切り替わりますので、しばらくお待ち下さい。 ※ご購入は、楽天kobo商品ページからお願いします。※切り替わらない場合は、こちら をクリックして下さい。 ※このページからは注文できません。
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【電子書籍なら、スマホ・パソコンの無料アプリで今すぐ読める!】浅井長政の群像【電子書籍】[ 川村 一彦 ]
<p>浅井長政(1545年~1573年)北近江の戦国大名。足久政の子。名ははじめ賢政。備前守を称す。南近江の戦国大名六角氏の重臣平井定武の娘と結婚したが、六角の下に立つことを嫌って離縁して、1560年(永禄3)の野良田表の戦いで六角氏を破った。1567年、織田信長が美濃平定すると、信長の妹お市の方と結婚して信長と同盟関係を形成させた。浅井氏は、初代浅井亮政の時から越前朝倉氏とのつながりが強く、1570年(元亀元)4月、信長が朝倉氏を攻めたときは、信長との同盟を破棄。同年6月の姉川の戦いで、長政は小谷城に籠城する形になり、1573年(天正元)信長方に攻められて落城、自刃した。お市の方と3人の娘(茶々・淀殿)発、小督は城を出たが、嫡男万福丸は木下秀吉によって殺され、浅井氏は断絶した。</p>画面が切り替わりますので、しばらくお待ち下さい。 ※ご購入は、楽天kobo商品ページからお願いします。※切り替わらない場合は、こちら をクリックして下さい。 ※このページからは注文できません。
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【電子書籍なら、スマホ・パソコンの無料アプリで今すぐ読める!】歴史の回想・石山合戦【電子書籍】[ 川村 一彦 ]
<p>石山合戦は本願寺に率いられた諸国の門徒が織田信長と対決して、1570年(元亀元年)~1580年(天正8年)まで行った戦い。一向一揆の一つ。石山は当時大坂にあった本願寺の、寺地所在地の地名と伝承されている。本願寺が足利義昭・信長の新政権を警戒し、教団を護るため、信長と対立する諸勢力と結んだことが合戦の大きな原因である。戦いは第一期から四期まで区分ができる。11570年の戦いで、旧将軍足利栄を擁立した三好三人衆の一派に本願寺が味方した戦い。足利義昭を擁して入京した織田信長に追われる三好三人衆は義栄死去後も、六角・朝倉と結んで義昭政権に抵抗を続け、野田・福島に進出した。これを撃破すべく出陣をした義昭・信長の軍勢に対して本願寺は挙兵した。これとともに浅井・朝倉勢が比叡山と結んで京都をうかがい、近江織田勢を攻撃の、信長は苦境に陥り、義昭の斡旋により浅井・朝倉と和睦した。21571年(元亀2年)~1573年(天正元年)まで。和睦は破れ、信長は浅井・朝倉と抗争を再開。近江門徒は浅井・六角を支え、越前門徒は朝倉を支えて戦った。やがて義昭は信長と対立、義昭は武田信玄を味方につけて信長の同盟を断行し蜂起した。しかし信長の攻撃に屈して和睦。義昭は信玄の病死後再び放棄するもはブレ、京都を追われた。浅井・朝倉も相次いで滅ぼされ、本願寺は信長に和睦を請い承認された。31574年~1575年まで。義昭は京都を追われた後も幕府を再興を意図して抵抗をし続け、本願寺はこれにこたえて蜂起、また朝倉滅亡後織田方の支配する越前門徒が蜂起し、一国を制圧。信長は軍勢を大坂にはけんして本願寺を攻撃する一方、自ら門徒の拠点伊勢中島を攻撃し、立てこもる門徒を大虐殺し手一揆を壊滅させた。さらに翌年越前に大軍で攻め込み、一揆勢を全滅させた。本願寺は和睦請い、信長も承認した。</p> <p>4最後は1576~1580年まで、毛利氏に扶助された義昭は、諸国の大名に幕府再興を呼びかけた。毛利・上杉・武田が呼応して籠城し、諸国の門徒が兵士を送ったり、武器・金銭・兵糧を送るなど戦いを支えた。信長は軍勢を大坂に派遣、5年にわたる石山籠城戦始まった。しかし上杉謙信の死去や、当初優勢だった毛利の水軍の敗北などもあり、本願寺をめぐる戦況は悪化した。この状況のなかで信長は天皇に本願寺と和睦を願い出、天皇の斡旋によって本願寺顕如は信長に寺地を引き渡して1580年4月に退去した。これに反対した顕如の嫡子教如は義昭と結び抵抗を続行しようとしたがならず、4か月後8月に大坂の寺地を退去した。この戦いの結果、織田政権と本願寺教団とが強固になり、以後豊臣政権になっても関係は引き継がれた。</p>画面が切り替わりますので、しばらくお待ち下さい。 ※ご購入は、楽天kobo商品ページからお願いします。※切り替わらない場合は、こちら をクリックして下さい。 ※このページからは注文できません。
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【電子書籍なら、スマホ・パソコンの無料アプリで今すぐ読める!】戦国越相同盟【電子書籍】[ 川村 一彦 ]
<p>越後国の上杉謙信と相模国の北条氏康が結んだ同盟。上杉謙信は、北条氏康に圧迫された上杉憲政ら諸領主の要請を容れ、北条氏を討伐するために越山と呼ばれる関東出兵を行ったが、氏康は武田・今川・北条の3氏からなる相互同盟(甲駿相三国同盟)に裏打ちされた盟友・武田信玄の支援を得て、謙信に対抗していた。しかし永禄11年(1568)末に信玄が三国同盟から離脱して今川氏を攻めたことにより、氏康も信玄を敵とするに至ったのである。北条氏は他にも常陸国の佐竹義重、安房国の里見義堯・義弘父子などとの抗争も抱えており、それまで味方であった武田氏を敵に回すのは極めて不利な状態であっ。<br /> この情勢を受けた氏康は信玄への対抗策として、謙信との同盟を模索した。北条と上杉が結べば南北に武田氏を扼すこととなるばかりか、謙信と友好関係にある里見氏との関係の修復も期待できるのである。また一方の謙信も、信濃・越後国境や上野国西部に侵攻する信玄とは敵対関係にあったことから氏康の呼びかけに応じ、永禄12年(1569)6月には信玄を共通の敵と位置づけて提携することを約し、同盟が成立したのである。この同盟の締結にあたっては、謙信が憲政から継承した山内上杉氏の領国である上野国の領有権や関東管領という政治的地位を北条氏側が容認することが条件だったが、永禄13年(=元亀元年:1570)3月には北条氏の属城となっていた武蔵国岩付城を前城主の太田資正に返付すること、この同盟の証人(人質)として氏康の子・氏秀(のちの上杉景虎)を謙信のもとに送ることといった条件も付与されていることから、北条氏側が大きく譲歩して結ばれた同盟であった。しかし実際には謙信が北条氏の支援に消極的だったことから上杉・北条の共闘は実現せず、この同盟関係はまったく機能することがなかった。そのため元亀2年(1571)10月の氏康の死没直後、この関係は破綻することになった。</p>画面が切り替わりますので、しばらくお待ち下さい。 ※ご購入は、楽天kobo商品ページからお願いします。※切り替わらない場合は、こちら をクリックして下さい。 ※このページからは注文できません。
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【電子書籍なら、スマホ・パソコンの無料アプリで今すぐ読める!】槇島城の戦い【電子書籍】[ 川村 一彦 ]
<p>元亀4(1573年)」足利義昭が挙兵もあえなく敗退、室町幕府は事実上滅亡。織田信長が第15第将軍・足利義昭を追放したことにより、室町幕府は滅亡します。きっかけとなったのは、京都で行われた「槇島(まきしま)城の戦い」です。かつては友好関係にあった信長と義昭。二人はどういった経緯で敵対し、武力衝突にまで至ったのでしょうか。信長と義昭の対立の経緯、永禄11年(1568)9月、信長は足利義昭を奉じて入京しました。翌10月、義昭は念願の征夷大将軍に就任をする。以後、信長と義昭は非常に良好な関係であった。信長は義昭のために二条城(義昭の邸宅)を造ってあげたり、義昭は書状の中に「御父 織田弾正忠殿」なんて書いたり。しかし二人の間にはやがて確執が生まれていくのでである。確執の始まり、永禄12年(1569)10月、信長と義昭は初めて衝突します。伊勢平定を義昭に報告しに行った信長。その後しばらくは、京都に滞在する予定でした。ところが突然、当時の本拠地・岐阜へと帰ってしまった。どうやら二人はケンカ別れをしたようである。ケンカの原因は何だったのでしょう。おそらく翌年に信長が義昭に承認させた「五カ条の条書」だと推測されている。将軍の権限を著しく制限する内容に、義昭が反発したことは想像に難くない、義昭にとってみれば、将軍として軽んじられたと受けられた。信長に擁立されて将軍となった義昭。対して将軍の権威を “利用” して統一事業を進めようとする信長。二人の争いの火蓋は静かに切って落とされました。義昭は水面下で反信長勢力を結集し始めたのである。水面下で信長包囲網を形成する義昭、元亀3(1572)には反信長勢力が拡大をみせる。(信長包囲網)この頃には松永久秀・三好義継・武田信玄・石山本願寺(顕如)・浅井長政・朝倉義景……など、そうそうたるメンバーが義昭と通じていたとみられている。しかし恐ろしいのは、義昭は表面上、信長との関係は穏やかだったことです。義昭は信長のため、京都に屋敷を造ったり(建設中に延焼)、高屋城攻めのときには応援軍を派遣したりしている。信長と義昭は、お互いにもはや敵であることを知りながら、表面上は穏やかさを保っていた。その後、17か条の異見書で義昭を非難した信長、同年9月、信長は義昭に全17か条からなる異見書を提出している。</p>画面が切り替わりますので、しばらくお待ち下さい。 ※ご購入は、楽天kobo商品ページからお願いします。※切り替わらない場合は、こちら をクリックして下さい。 ※このページからは注文できません。
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【電子書籍なら、スマホ・パソコンの無料アプリで今すぐ読める!】徳川四天王榊原康政【電子書籍】[ 川村 一彦 ]
<p>「榊原康政」が生まれた榊原家は、陪臣という家柄である。分かりやすく言うと、松平氏(のちの徳川家)に仕えていた譜代大名の「酒井忠尚」に仕えていた家柄。1548年(天文17年)、「榊原長政」の次男として、三河国(みかわのくに:現在の愛知県東部)に誕生しました。幼名は「於亀」「亀丸」いつから使われたかははっきりしませんが、「小平太」という別名も持っている。徳川家康に見出され、小姓からの立身出世。徳川家康は主家である松平家はまだまだ小さな御家でしかなかった。その頃三河の地を巡って、尾張国の織田信秀と、駿河国の「今川義元」、そして「松平広忠」(徳川家康の父)が争っていた。榊原康政が生まれた頃、「松平竹千代」徳川家康は、わずか7歳で今川家の人質になるはずであるが、ところが、駿府へ送られる道中、何と織田家の家臣により略奪され、織田家の人質となってしまい、その後、織田家と今川家が和睦し、改めて今川家の人質にされたのである。このときは、「松平竹千代」(徳川家康)が天下人になるなど、まだ誰も想像できなかったに違いがなかった。松平竹千代(徳川家康)は、人質のまま1555年(天文24年/弘治元年)に元服して、今川氏一族の関口刑部小輔の娘「築山殿」と結婚し、「松平元信」と改名。さらに1558年(弘治4年/永禄元年)に「松平元康」と改名します。そんな中、1560年(永禄3年)、榊原康政にチャンスがやってくるのです。この時期、家臣達の中から年の近い者達が、松平元康(徳川家康)の人質生活にお供をしていました。経緯は不明ですが、榊原康政は13歳のときに、松平元康(徳川家康)と出会い、小姓に見出されたのである。その日から、榊原康政は松平元康(徳川家康)の家臣になりました。なお、榊原康政と同じ、「徳川四天王」と呼ばれる「本多忠勝」、「井伊直政」も松平元康(徳川家康)の小姓であり、榊原康政は、頭脳も武功にも優れていたと伝えられている。</p>画面が切り替わりますので、しばらくお待ち下さい。 ※ご購入は、楽天kobo商品ページからお願いします。※切り替わらない場合は、こちら をクリックして下さい。 ※このページからは注文できません。
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【電子書籍なら、スマホ・パソコンの無料アプリで今すぐ読める!】志賀の陣【電子書籍】[ 川村 一彦 ]
<p>「志賀の陣起因」(しがのじん)とは、元亀元年(1570年)9月16日から12月17日にかけて発生した織田信長と浅井長政、朝倉義景、比叡山延暦寺の戦いを言う。</p> <p>〇「織田 信長」(おだ のぶなが、天文3年5月12日〈1534年6月23日〉 - 天正10年6月2日〈1582年6月21日〉)は、日本の戦国時代から安土桃山時代にかけての武将、戦国大名。三英傑の一人。</p> <p>織田信長は、織田弾正忠家の当主・織田信秀の子に生まれ、尾張(愛知県西部)の一地方領主としてその生涯を歩み始めた。信長は織田弾正忠家の家督を継いだ後、尾張守護代の織田大和守家、織田伊勢守家を滅ぼすとともに、弟の織田信行を排除して、尾張一国の支配を徐々に固めていった。</p> <p>永禄3年(1560年)、信長は桶狭間の戦いにおいて駿河の戦国大名・今川義元を撃破した。そして、三河の領主・徳川家康(松平元康)と同盟を結ぶ。永禄8年(1565年)、犬山城の織田信清を破ることで尾張の統一を達成した。</p> <p>一方で、室町幕府将軍足利義輝が殺害された(永禄の政変)後に、足利将軍家の足利義昭から室町幕府再興の呼びかけを受けており、信長も永禄9年(1566年)には上洛を図ろうとした。美濃の戦国大名・斉藤氏(一色氏)との対立のためこれは実現しなかったが、永禄10年(1567年)には斎藤氏の駆逐に成功し(稲葉山城の戦い)、尾張・美濃の二カ国を領する戦国大名となった。そして、改めて幕府再興を志す意を込めて、「天下布武」の印を使用した。</p> <p>翌年10月、足利義昭とともに信長は上洛し、三好三人衆などを撃破して、室町幕府の再興を果たす。信長は、室町幕府との二重政権(連合政権)を築いて、「天下」(五畿内)の静謐を実現することを目指した。しかし、敵対勢力も多く、元亀元年(1570年)6月、越前の朝倉義景・北近江の浅井長政を姉川の戦いで破ることには成功したものの、三好三人衆や比叡山延暦寺、石山本願寺などに追い詰められる。同年末に、信長と義昭は一部の敵対勢力と講和を結び、ようやく窮地を脱した。</p>画面が切り替わりますので、しばらくお待ち下さい。 ※ご購入は、楽天kobo商品ページからお願いします。※切り替わらない場合は、こちら をクリックして下さい。 ※このページからは注文できません。
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